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「」に対する検索結果が5件見つかりました

  • 色とファッション ~色の力~

    Fashion with Intention ~What is your color? ~ BY RURI   1.    My Theme(私の研究テーマ)    私の研究テーマは、「ファッションと色」についてである。私は、ファッションには色があり、そこに使われる色は無意識的に感情とリンクさせているのではないかと考えた。例えば、今日は気分がとても良い日だから明るい色の服を着るなど、人々は無意識的にその日の気分で色を選択し生活していて、この表現方法を用いて自己表現を行う人がいる。しかし、街を歩いているときすれ違う日本人の多くは、似通った服装をしているように見える。そのため、ファッションで 「自分の色」 を強く表現する人が少ないと感じる。流行りのコーディネート(例:Y2K・韓国風など)など大きな土台はあるが、その中の色までもがトレンドに縛られている。私が抱いた問題点は「なぜ日本人は自己表現が苦手なのか」だ。そこで、仮説を用いて考えていく。     ①     Cooperation is Required (協調性が強く求められる)    日本人の国民性で、強みでもある 「協調性」 だが、今回の研究では弱点になっている可能性が見えた。なぜなら、日本の義務教育では集団行動を多くの場面で強いられるからだ。例えば、運動会や校外学習などを通じてチームワークや集団としての責任、役割分担を経験する。その中で、集団の中で目立つことや、他の人と違った行動をすると冷たい視線を浴びることがあり、「いじめ」に発展してしまうこともある。このような事態を避けるため、集団の一部として行動することが求められる。そのため、自分自身を強く主張(表現)することが苦手なのではないかと考えた。これが仮説①だ。     ②     People are Shy(内気な性格の人が多い)    先ほど仮説①で、国民性の中から絞ると 「内気」 な人が多い傾向にあると感じる。なぜ内気な性格の人が多いかというと、[1]自分に自信がないからだと考える。そのため、表現したいと感じても「自分には無理だ、似合わない」と無意識のうちに考えてしまい、気づいたら無難なコーディネートを組んでしまっているのではないか。私も同様に、洋服店のマネキンが身に付けているアイテムに憧れを抱くこともあるが「私には似合わない」と、無意識のうちに自分を否定して諦めてきた。これが内気が原因の仮設②だ。  ※勘違いを防ぐため、注釈を入れる。「カラフルだから自己表現ができている」「白黒の服しか着ないから個性がない」と伝えたいのではなく、自分の感情以外の理由で、着る服を決めている傾向が強いと感じた。よって、その原因を研究したいと考えた。たとえ着ている服が白黒だけでも自分自身が愛している色なら自己表現が出来ていると私は思う。     2.Conclusion(まとめ)   日本人が自己表現を苦手としている要因は、国民性が関連している可能性が高いことが分かった。そのため、自己表現を行う事に苦手意識が強い傾向がある。しかし、自己表現に慣れていない人が挑戦することは難しい。最初に自分の感情を色にして表現する。そして、その色を服装や日々の生活に取り入れてみる。これらを行うことで、本当の感情を表現できる第一歩になる!     次回の記事で今回の内容を深堀しながら、それぞれの色が持つ特性と他者に与える印象について書きたい。

  • ごみ山が映し出す廃棄物問題

    私がカンボジアでみた景色 Garbage Mountains Reflecting Waste Problems  ~The Scenery I Saw in Cambodia~  BY MIYU  Background(生い立ち)    私は川崎で育ち、都内の商学系の学部に通う大学3年生である。本誌では大学2年生から研究している新興国・カンボジアが現在抱える廃棄物問題について、自身の経験をもとに記述したい。私は大学1年生で東南アジア・タイに留学し人々の暖かさに魅了され、新興国の高度経済成長のスピードの速さに驚きビジネスの可能性を感じた。そこで東南アジアの人々と労働経験を積むべく単身カンボジアへ渡った。カンボジアには就業経験を積むために渡ったものの、カンボジアでの生活で見た景色は私にとって新興国が抱える深刻な問題について考えるきっかけになったのである。  アンコールワット, 2023年9月13日   First time in Cambodia (はじめてのカンボジア)    カンボジアで見た景色はよりすさまじいものであった。首都プノンペンには未だ開発地区が多く、道路整備がされていない場所も多い。日常生活を送るうえでの不便さは承知であったが、それ以上に衝撃を受けたのは教育体制と廃棄物処理法だった。例えば平日の昼間町に出ると、学校に行けず屋台や広場に集まり楽しそうに遊ぶ10代の若者の姿。夕方になると、膝を付きお恵みを求める3歳から7歳ほどの子供たち。何より印象深いのは、細身で貧相な衣服をまとい裸足で歩く3歳前後の子供が町にたくさんいることだった。私はとても胸が傷んだ。また缶や瓶、プラスチックから紙まで分別せずに全て同じゴミ袋に詰め、捨てることにもとても驚いた。後に調べていくと、カンボジアには教育機関がまだ整備しきれていないことで、子供に掃除の大切さなどの教育がいきわたっていないことが分かった。また焼却所の設置も追いついていないことで、分別するという習慣がまだ根付いていない。そのため田舎にはごみ山も残っている。そこで私はごみ山を生で見て実態を探るべく、2度目のカンボジアへ渡った。  カンボジアの子供たち(2023年9月10日) Second time in Cambodia(2度目のカンボジア)    これは実際にカンボジアのシェムリアップ地域に残るごみ山だ。私が実際に訪問したごみ山はリサイクルし終えたもので、匂いはあまりしなかった。ごみ山は日々拡大し、ごみ山で生計を立てているカンボジア人も多い。ではなぜごみ山で暮らす人が多いのだろうか。理由は、田舎には安定した職業がないからだ。彼らは週に一度運ばれてくるゴミからリサイクルできるものを探し、それらを販売することで収入を得ている。カンボジアには雨季と乾季があり、乾季の半年間は雨が降らず、毎日36度以上の気候が11月上旬から5月中旬まで続く。そのため農業は天候に左右され、安定的な収入を見込めない。だからこそごみ山の存在は田舎に暮らすカンボジア人にとって、毎週安定した収入を見込める場なのだ。都市部に出稼ぎに出るべきではという声もあるだろう。しかし農業の収入を月額で換算すると60ドル程度なのにかかわらず、ごみ山の収入は100-120ドルで約2倍になる。また出稼ぎにでて市内で働く場合で考えると平均月収が120ドル程度なので、田舎とごみ山での働きはほぼ同じ収入になる。しかしごみ山での仕事は、常に健康被害と隣り合わせでその代償は高い。  そしてごみ山には、衣服がたくさん捨てられていた。その多くは、カンボジアの市内外にあるナイトマーケットやファストファッション店で、安く手に入れられすぐに捨てられてしまった衣服である考えられる。現地人に聞くと、衣服は質の下がっているものはリユースやリサイクルされずごみ山に残り続けるという。こうしたファストファッションから発生するごみ山の廃棄物問題は、カンボジアだけでなく新興国と呼ばれる東南アジアのマレーシアやタイ、南アメリカのチリなど数々の国が抱えている。そして日本はファストファッションなどのプラスチックゴミをそういった国に送っている。そのため私たちは、廃棄物問題についてより強い関心を持つべきである。  シェムリアップ地域のゴミ山(2024年3月15日) シェムリアップ市内のマーケット(2024年3月16日) 【参考資料】 ゴミとして捨てられた服の行方が気になる!国内の廃棄量や資源活用の方法も紹介  https://komehyo.jp/komeru/637  (最終閲覧日2024年10月17日)

  • Tiffany Wonder Exhibition💙✨/ Section1

    ティファニーワンダーは永遠である。今や世界中の女性が憧れるアクセサリーの象徴となったティファニーワンダー。ブローチとして人気の高い「ダイヤモンドリング」のモチーフとされる鳥が、壁一面に華やかに飛び回る姿は私たちの目を楽しませてくれた。次に私たちを楽しませてくれたのは、ティファニーワンダーの起源である。煌びやかなアクセサリーに目が惹かれがちだが、少し古びた創業当初のティファニーボックスにも焦点を当てていただきたい。「While the styles may change over the years, a Tiffany Blue Box is Timeless.」というメッセージには、時代を超えたデザイナーたちの思いが読み取れる。 急に照明が暗くなり、騒がしかった観覧者たちは少し静かになる。目を疑うような輝きを放つアクセサリーの数々。その中でも一際目を引いたのは、3人の現役職人たちの存在だ。2人目に出会った職人は、私たちの不慣れな英語にも、丁寧に対応し顕微鏡を通してアクセサリーの巧妙さを教えてくれた。彼はティファニーワンダーの職人になるために15年以上の歳月を費やしたという。ティファニーワンダーの職人は倍率がとても高く、他の工場で経験を積みながら職人を目指したらしい。下積み時代が長かったのにも関わらず、なぜか彼の表情は幸せそうだった。言葉にせずとも彼がティファニーワンダーの職人でいることに敬意を払いすべての作業に強い責任感と自信を持っていることが分かった。 「Tiffany Wonder Exhibiton」Entrance 「Tiffany Blue Box」 「The Medusa Pendant」

  • Tiffany Wonder Exhibition🩵✨ / Section 2

    ティファニーは創業当初から、ジュエリーを効果的に見せるために「ショーウィンドウ」を重要視してきた。今回の展覧会において、日本美術、特に歌川広重の木版画は重要な着想源となった。そこで日本の伝統に敬意を表し新たに制作された「ドルフィンブローチ」には忍耐と経験という物語が考案された。アニメーションとデジタルプロジェクションが、太陽の周期と月の満ち欠けによる時の流れを表し、日本の伝統とティファニーの源となる詩と光、自然の調和を感じることができた。次の部屋ではティファニーのメディアとの繋がりを感じることができる。映画館のような椅子が置かれ、座って展示を鑑賞した。当時一世を風靡した映画「Breakfast at Tiffany's」でオードリー・ヘップバーンが身に着けたドレスの展示をはじめ、様々な映画のワンシーンに使用されたティファニーのジュエリーを目にすることができる。すべての女性の憧れともいえるダイヤモンドリング。「All About Love(愛がすべて)」とは人々、自身、空間、美、発想、地球、伝統、未来を愛すること。ティファニーは人生における様々な愛のかたちを讃えている。最後の展示室に入ると、暗闇の中心に一つのジュエリーがある。「ザ・ティファニー・ダイヤモンド」128.54カラットのイエローダイヤモンドである。このダイヤモンドを身に着けたのは、ホワイト夫人、オードリー・ヘップバーン、ビヨンセ、レディーガガ、と世界でたった4人の女性だけだ。ダイヤモンドを照らす一筋の明かりと壁一面に広がるプロジェクションマッピング、そして音楽が組み合わさり、ダイヤモンドから目が離せなくなる。まさに、このダイヤモンドのための空間。ティファニーの世界観に圧倒された。 「Still Life (1956) 」 「Baz Luhrman's The Great Gatsby (2013) 」

  • 琉球の芸術美

    The Art of Ryukyu ~Dance and Costume~ BY SEIKO 1.    Ryukyu Dance (琉球舞踊)  この記事では、「琉球舞踊の衣装」について琉球の歴史と、私の琉球舞踊での経験から執筆していく。 「琉球王国あけもどろ圖」 制作:JCC美術部(2008年) 監修者:井上秀雄 文学博士(沖縄県立芸術大学元教授)    「琉球舞踊」は、現在の沖縄が琉球王国時代に育まれた伝統芸能であり、国の重要無形文化財に指定されている。琉球王国は1429年に誕生し1879年まで450年間続いた。琉球王国は東南アジアと中国との中継貿易で発展していった。当時、貿易相手国である中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球に派遣されるようになると、国賓としてもてなすために宴で披露された宮廷芸能を「御冠船踊(うかんしんおどり)」という。これが「琉球舞踊」のはじまりである。また、このような芸能を楽しめるのは王家など特権階級の人々のものであり、特別な芸能だった。琉球の人々は海の向こうのニライ・カナイという理想郷に火と稲の起源を求める伝承があり、毎年ここから神々が人間の世界を訪れ五穀豊穣がもたらされると信じていた。そのため、海の向こうの日本・中国・東南アジアとの交流が盛んに行われ、様々な文化を吸収し独自の琉球文化を作り上げていった。その一つが「琉球舞踊」である。冊封使に披露した芸能は「古典舞踊」に分類され、老人踊・若衆踊・二才踊・女踊・組踊がある。王朝時代に育成され、優雅で荘厳な雰囲気が特徴だ。琉球王国は1872年に琉球藩となり、1879年の琉球処分による王国の滅亡で沖縄県になる。その後も戦禍の被害など大きな歴史の変革に伴い芸能の様子も変容していった。沖縄県設置後、宮廷での仕事がなくなった舞踊家達が庶民の暮らしを表現して舞踊にした明るい曲調の「雑踊り」を作るようになった。さらに、日々生まれ変わり続ける現代的な動きや曲を使用し踊る「創作舞踊」がある。一言「琉球舞踊」と言っても様々な様式の舞踊があるため、飽きることが無い。 2.     Bingata (紅型)  沖縄を代表する染物「紅型」は、起源は14~15世紀頃にあり、当時の交易品にあった布製品の技法から誕生したとされ、重要な交易品でもあった。「紅型」は春・夏・秋・冬の四季が一つの模様として描かれる。この表現方法は沖縄が温暖な気候で四季の変化が緩やかであることが理由だ。南国らしい様々な柄と華やかな色彩をもち、空や海、草花など沖縄の自然を表現している。中国にルーツのある文様や江戸小紋などの影響を受け、琉球の感覚で構築されたデザインだ。紅型は過去の型紙を手本として柄や技術を継承していくため、大切に保管されていたが17世紀初めの薩摩による琉球侵攻で多くの型紙が失われた。しかし、その後も紅型は衰退することなく現代の紅型の様式を確立させた。 「琉球紅型」 これは実際の琉装に入っている紅型の文様である。黄色の生地に松や梅などのおめでたい柄が中心に琉球の動植物たちがはっきりとした色合いで描かれている。 紅型が施される琉球舞踊の伝統衣装「琉装(ウチナースガイ)」は中国大陸の「韓服」や日本の「着物」の影響を受けながら琉球王国時代に発展したものである。祝いの席などで正装として着用されるが、18世紀に琉球国王によって「衣服定」が出されると権力の象徴として王・士族の女性など一部の特権階級の人々だけが着用し、一般の人が着用するものでは無くなった。さらに、階級によって身に着けられる色にも区分があり黄色が最上位で水色やピンクなどの色もある。また、袖口が大きく開いている作りになっているため風通しが良く南国琉球の気候に合わせた衣装になっている。 3. My Experience (経験)  私は四歳から現在まで琉球舞踊を続けている。幼少期から何度も舞台に立ち、踊ってきた。琉球舞踊には曲ごとに変わる世界観を表現した色とりどりで様々なデザインの衣装がある。特に古典舞踊では、琉球の雰囲気を感じ取れる着物があり、美しい歴史をまとうことができる。衣装を実際に着用してみると、紅型は重厚感のある生地に細かく文様が入っておりとても目を引く。気持ちが引き締まり自然と背筋が伸びるような感覚になる。肌触りなども独特でぜひ機会があれば手に触れて感じてほしい。 琉球古典舞踊「四つ竹」 伊是名の会第34回定期公演∼琉美創舞∼(2024年)  今後、さらに琉球舞踊の衣装について踊り手の視点から調査し執筆していこうと考えている。歴史を知ることは今あるものの意味を知ることになるので、ぜひ多くの人に読んでいただきたい。

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